今回は、広く「起業家」という立場の方に向けた書く内容です。
本記事執筆時点で1ヶ月強前に起業したばかりの若造の意見ですが、よければお読みください。「その仕事の原点はなんだ?」というお話です。
昨日、お世話になっている大先輩と話をしていて(田舎で暮らしながら全国にクライアントを持っているスゴい方)、改めて「自分の仕事とは、そもそもなにか?」ということを深く考えさせられました。
誰しも「こうありたい」という想いを持って起業するはずなのに、僕自身それをなによりも大事にしたいと心に刻んで仕事を始めたはずなのに…見失ってしまうんですよねえ。
うまくいくための方法論や、自分にできることの範疇だけで、仕事について考えてしまっていました。今回綴っていく僕の反省点が、あなたの原点を見つめ直す、小さなきっかけにでもなれば幸いです。
大鹿の場合:コンサルタントとはなんぞや?
僕が開業届に書いた業種名は、「コンサルティング業」です。人と会って名刺交換するときも、そう名乗っています。
でも、コンサルタントってなんだろう? 一方では「怪しいヤツら」という認識があることも知っているし、僕も会社員時代、顧問(コンサルタント)と名乗る人間の存在意義を疑問に思っていたこともあります。
ただ、自分がそう名乗るなんて考えもしない頃から尊敬しているコンサルタントもいたので、漠然とイメージ像はあったと思います。あくまで今覚えば、漠然とですが。
自分が抱えていた漠然がダダーンッと氷解したのが昨日。
「コンサルタントとは、“人の悩みを解決”する人のことですよ」。
・・・あ。そ、そうかっ!!! そうじゃん。
起業してから1ヶ月強というもの、コンサルタントとして仕事がうまくいくための方法論ばかり追っていました。
自分の出自が編集者であったりライターであったり、マーケティングであったりしたから、かえってその枠のなかだけで、自分ができることを考えてしまっていました。
営業マンをしていたときに尊敬していた経営コンサルタントKさんの仕事のスタンスは、まさに“悩みの駆け込み寺”でした。
「◯◯さん、これこれについてこう考えているんだけど、どうかな?」。気性の荒い成り上がり経営者だった当時の社長から、全幅の信頼を置かれていたことを思い出します。
先ほど「漠然」と書きましたが、まだ駆け出しコンサルタントである自分の原点は、Kさんにあったんだと思います。「“人の悩みを解決”する人のことですよ」という言葉から、連想ゲームのように浮かんできました。
もう忘れていたのに、鮮明に。“あれ”か、と。
そもそもどんな想いで起業したのか?
あなたは、どんな想いがあって起業されましたか?
って聞かれると困ると思うんですけど、実際経営者に話を伺うと、「仕事をしていくなかで想いが追いついてきた」「過去こう考えていたことが、今思えば自分の想いだった」ということも少なくありません。
あるいは最初に打ち立てていた高尚なビジョンが、実は地に足のついたものじゃなかったという場合もあるでしょう。経営理念が変わっていく例もお聞きしたことがあります。
自分の想いをビシッと一本串に刺し、仕事に変えられる人間は珍しいんじゃないかという気がしてきました。そうあれば「カッコいい」なと思ってやってきたつもりでしたが、僕は上っ面が大きかったのかもしれない。
けれど、そんなものなのかもしれない。
故スティーブ・ジョブズによるスタンフォード大学の有名なスピーチで、「過去の点と点が結びつき、線になる」という言葉があります。
いい点も悪い点も、もう忘れた頃につながって今になるという経験、したことはありませんか? 僕は何度もあります。いや、訂正。「つながって今になっていた」ということを深く考えるようになりました。ここ2年ほどのことですね。
10代の頃、何もない、つまらない田舎だと思っていた地元の高松は、今では自分を生かしてくれる場所です。かつて遊戯王カードで、そこにいると攻撃力と守備力がアップする「フィールド魔法」というものがありましたが、アレです。
「フィールド魔法、高松!」(分からなかったら無視してくださいww)
生かされていることが分かったから、生かすことに力を注ぎたい。じゃあ自分のできることは? “この街の人の悩みを解決”し、豊かに暮らすことができることで、結果的に街が元気になること。
そのツールとして、編集者やライターというキャリアであったり、マーケティングであったりという「点」がある。順序を逆にしていました。自分ができることから、仕事というものをとらえてしまっていたわけで。
できることベースで考えてしまうと、言葉の通りなのですが、自分のできることしかできません。そしてやりません。自分より優れたライバルだって、星の数ほどいます。近視眼的になってしまいます。
もしあなたが、ここまでお読みいただいて「点でしか仕事ができていなかった」と感じているなら、経験もリソースも社員も設備もぜんぶ引っくるめて、1本の線でつないでみてください。
つながった先に見えるものはなんでしょうか? それが、見えていなかった本当の想いかもしれません。かのヒューレット・パッカードも、かつて想い=理念の明文化に際し、幹部を集めて何日も、点をつなぎ合わせる作業に時間をかけたそうです。
近視眼的になるからこそ、見る・聞く・読む
目の前の仕事をこなしていくなかで、近視眼的になって方法論や持てる能力にとらわれてしまうのは、えてして仕方のないことなのかもしれません。
だからこそ、
- 自分の仕事から離れて体験をする
- 人と話をする、話を聞く
- 本を読む
基礎的なことですが、改めて大事なことだと感じます。忙しいとこれらは「時間を奪うもの」と考えてしまいがちですが、「見る・聞く・読む」で得られることは、そもそも即効性のあるものではなく、気づきをもたらしてくれる遅効性のものです。
方法論ではなく、将来線になる点、『考え方』を与えてくれる養分のようなものです。
なかなか本も読めないほど近視眼的になっていた感があり、最近は僕も本くらい読めるゆとりを持つようにしています。先ほど書いたヒューレット・パッカードのくだりも、本を読んでいて感銘を受けた部分。
よく「遊ぶように仕事をする」起業家がいますが、こういう方はインプットと仕事をガソリンとエンジンのように燃焼させ続けているんだと思います。
実際、近くにいると忙しさと楽しさを両立してエネルギッシュに活動をされている方が多いですし、すべての時間が循環するような生き方を目指したいものですね。
まとめ
特に僕のような個人事業主の場合、どうしても1人で仕事をしていますし、外からの刺激にアンテナを張っていないと、どんどん視野が狭くなっていくように感じています。
起業の原点というのはイコール自分そのもの。つまり生き物だと思うので、動かしてあげたり養分を与えたりしないと、硬直してエネルギーがしぼんでしまうのではないでしょうか。折に触れて振り返り、状態をチェックする作業が必要なのかも。
一番簡単に養分をあげる方法として、僕は本を読むことをオススメします。まあ、自分への戒めも込めてですけどね。
なんだか抽象的なことばかり書きましたが、気づきがあるとうれしいです。最後までお読みいただきありがとうございました。
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