いまさっきニュース番組で「親ガチャ」なる言葉があると知り、この記事を書いております。
- 「親の遺伝のせいで身長が高くない」
- 「家庭が経済的に恵まれないから、いまの環境が不遇なんだ」
- 「親が才能ないから、自分も凡人なんだ」
そういって現状を嘆く若者がいるそうです。親をガチャポンにたとえて、「親ガチャ」当たった・外れたと言うようですね。SNSの普及で他人の生活がよく見えてしまう(うらやましい)ことが、原因だとかなんだとか…。
いや、めっちゃ分かりますわ。若者の気持ち。
僕も上に挙げたことは二十歳くらいまで思っていましたし、他人との「差」は歴然とあります。綺麗事じゃない。
ただ、組織の一員でいれば他人の存在は気になるかもしれないけれど、起業して自分主導でビジネスをするとなったら、もう自分との戦い。何が悔しいのか? という本質は、自分の理想とする姿との差を埋められないことだと思います。
今回は生まれ持った資質や境遇の差を埋めるための方法について、僕自身の考えをお伝えさせていただきます。僕もそこそこ人生経験を積んできて、結局凡人は「やり続けて」跳ね返していくしかないと感じる今日この頃です。
「努力型」の作品で自分を鼓舞する
ちなみに僕は冒頭で挙げたような若者なりの悩みに加えて、田舎で生まれた環境の差を、両親のせいにしていました。都会ならもっと楽しい体験・経験ができるのに、自分は少なくとも18になるまでは、ずっとここに縛り付けられたままだ。と。
(今は、Uターンしてきて田舎が大好きです)
卑屈になったときは落ち込んで落ち込んで、そのあと「努力型」の作品で自分を鼓舞してきました。
貧しい労働階級からスターに上り詰めたロックスター・oasisの音楽。
漫画『NARUTO』。
底無しにアツいアニメ『天元突破グレンラガン』や、優れた能力を持った両親との差に悩みながら成長する『機動戦士ガンダムAGE』の2期なんかも好きです。
分からなかったすみません(笑)。
ともかく事あるごとに他人との差を感じる場面はあったし、そのたびに「努力型」の作品で自分を勇気づけてきました。他人との差をどうしても感じてしまう人は、「事あるごと」という表現は納得いただけるのではないでしょうか。
これを見たら・聴いたら、もう一度、いや何度でも自分を奮い立たせられる。僕は作品としましたが、なんにしろそういう拠り所をリストアップしておくといいと思います。
一度、社会の雑音から離れてみる。落ち込んだ気持ちを抱えたままだと、抱え込んだままでしかないので、全部忘れて漫画やアニメをイッキ見するのもいいのではないでしょうか。
隣の芝生は青く見える…だけというときも
最初に勤めた会社では、とある有名私立大の出身者が優遇されていました。誰もが聞いたことのある、東京メトロ東西線の駅名と同じ名前の大学です。
給与面はさすがに差はありませんでしたが(あったかもしれないけど)、質の高い仕事がその出身者に回る仕組み。だいぶ、あからさまでした。
僕はそもそも大学を中退していて、それでもちゃんと努力している人間だと自負していたので、やっぱり納得がいかない。「なんであいつばかり」「またあの大学の出身者ばかり」。何度そう思ったか分かりません。
でもですね。
出身者たちの仕事ぶりを見ていたら…別にその大学を出ているから、といったことはなかった。むしろ「なんで◯◯大を出ているのに、こんなに社会常識がないんだろう」という人間もいましたよ。隣の芝生が青く見えていただけ、だったことが分かりました。
「なんだ、そうだったのか」
依然として派閥扱いはされていましたが、正直20代の半ばから後半で一生分働いたんじゃないかというくらい仕事をして、そんなくだらない「差」は跳ね返しました。
途中うまくいかないことがあって悔しくて落ち込むときもあったけど、「努力型」作品の力も借りて。
繰り返しますが、「隣の芝生が青く見えているだけ」ということは大いにあり得ます。先述の僕のエピソードはその一例ですが、差があると思い込んでいたということは、思い起こせばもっともっとあったと思います。
もしあなたが他人との差を感じることがあったら、まず冷静に分析してみると、実は大したことはなかったり、優れている面があるのと同じくらい大きな欠点を持っていて、自分と大差はなかったり。ということが分かるかもしれません。
凡人は「やり続けて」勝つ!
最初にも書いたしあなたにもお分かりの通り、他人との差は歴然とあります。
ただ、経済も人間も導入期・成長期・成熟期という成長曲線というものがあり、人によってどこで急激な伸びを見せるか分かりません。長い成長期のどこが分岐点になるかは、成長を続けていかなければ分からない。誰にも。
大器晩成という言葉もあるように、成熟期で実ることもあるでしょう。
結局、その分岐点をつかむまで、やり続けるしかないのだと思います。やり続けることは、「習慣」にすること。習慣にできる・できないばかりは、天才も凡人もありません。やるか? やらないか? ですね。
そしてここまで「他人との差」をテーマに書いておいて元も子もないですが、起業してビジネスをしている以上は、他人と自分ではなく、顧客と自分です。顧客に恥じない自分になるんだと考えたら、努力して当たり前。やり続けて習慣にすることなんて当たり前だと思います。
やり続けていれば、そのうち他人なんて、まったく気にならなくなるのでは(もちろん市場調査という意味では気にかけるべきですが)。僕は、そう信じてやっています。お世話になっている方々も、やはりそうですね。
向き合うべきは、自分なんです。
まとめ
前提として、他人との向き合い方は今自分がいるステージ、やっていることによって変わると思います。自分で事業をされている、これからやっていこうという立場なら、向き合うべき相手は自分です。
生まれ持った資質や境遇の差は、他人との差ではなく、理想の自分に対して差。他人に目を向けてしまうから、余計卑屈になってしまうものだと思います。でも、本来はそうじゃない。
- 落ち込んだら「努力型」作品で自分を鼓舞する
- 「隣の芝生が青く見えているだけ」ということはよくあるので、他人が気になるときは冷静に分析してみる
- 人間には成長曲線というものが存在し、どこが分岐点になるか分からない。やり続けることが大事!
今回は僕自身の経験からお話させていただきましたが、少しでも参考になることがあればうれしいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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