ご覧いただきありがとうございます。マーケティングコンサルタントの大鹿です。
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今回は、シンプル極まるのですが「考えること」についてお話したいと思います。
いきなりですが、「走りながら考える」という言葉に、あなたはどんな印象を持っていますか? 何事も瞬時に判断できる人の共通点? それとも、「ウダウダ言ってねーでやれ!」という教訓?
「走りながら考える」ことは一方では正しいけれど、そのままの意味で受け取ってしまうと、実は自分を追い込んでしまいます。
なぜなら単純なことですが、本気で走っていたら考えることはできませんから。全力疾走の最中に頭が冴えてポンポンアイデアが浮かぶ、なんて話聞いたことがありませんよね。
考えることは本来、すべての行動の起点になる活動です。それなのに、手を動かすような“いかにも仕事っぽい仕事”ではないから軽視されがち。本当に、それでいいのでしょうか?
「走りながら考える」って、本当は非効率なんじゃ…? 事実をお伝えします。
本当は「走りながら考える」なんてできない!
結論からお伝えすると、「走る」と「考える」を両立するのはムリ。
あたかも、走りながら考えられるくらい、判断が早い人がいるというだけの話です。しかしそれは、本来なら1から10まで考えるところをこれまでの経験値がショートカットさせてくれているということ。
ですから、「走りながら考えられる」という人の言葉を真に受けてしまうと、走ることも考えることも中途半端になってしまいます。
考えるフリをしているだけ、という実に非効率的なことになりかねないわけです。
あなたにとって本当にナイスなアイデアが浮かぶ瞬間って、どんなときですか?
何気なく道端を歩いているときとか、お風呂でシャワーを浴びているときとかではないですか? そうやってリラックスしているときのほうが、いい考えは浮かびやすいはずです。
逆に、忙しいは「心を亡くす」といわれるように、心身に余裕がないときほど考えが浮かぶことはないと思います。そんなときの「考える」は、まさに考えるフリ。
自己責任ではあるけれど、そんなときにひねり出した考えほど信用できるものじゃないと思いませんか?
「考える」ことも立派な仕事
人間の機能は本来、頭が指示を出してから手足が動くわけですから、考えることほど尊い仕事はないはずです。
ですが、手を動かさない仕事を仕事と思わない、間違った風潮があるのも事実。考えることは一見、派手さに欠けますからね。
昭和の「モーレツ営業マン」よろしく、足を使って営業する姿は泥臭くてカッコよく見えます。でも、“モーレツ”を美徳にしすぎると、お客さんになりそうな人もそうでない人も誰かれ構わず営業して回るわけだから非効率です。
(それはそれでものスゴいエネルギーですが)
それよりも、走り出しは遅くても「こういう人が買ってくれそう」という検討をつけて、つまりちゃんと考えて行動したほうが、打率はよっぽど高くなります。
終わり=ゴールを考えて仕事をすることが本来の生産的な仕事です。考えるだけで行動できないのは考えものですが、考えるフェーズはあって当然な作業です。
作業と仕事の違いとは?
少し話が逸れますが、「作業と仕事の違い」について考えたことはありますか? 偉そうに語りますが、僕も人から教えられて両者のあり方を見直すようになりました(汗)。
- 作業…誰でもできる替えがきく仕事
- 仕事…あなたにしかできない仕事
作業は替えがきくわけなので、あなたでなくともできます。会社ならアシスタントに、個人事業主なら外注に任せられるような業務のこと。
一方の仕事に、まさに「考える」は振り分けられます。あなたの脳みそを他人に貸し出すわけにはいきませんよね? もちろん任せられる領域のものもありますが、決してすべてがそうではないはずです。
このようにとらえると、より「考える」ことの尊さを感じられると思います。いかがですか?
考える時間が短く見える人は…
考える時間があたかもないように見えるほど、瞬時に答えを出す人もいます。
しかしそれは、一部の天才を除けばトライ&エラーを繰り返して経験値を詰んだ人です。
それを表面的に走りながら考えた結果、ととらえるのは尚早です。
今、僕たちは九九の答えを瞬時に答えることができますが、10歳にも未たない子どもの頃はそうもいかなかったですよね? 同じように、正しくは“誰もが考える時間を短くできるようになる”ということです。
もし、あなたが「走りながら考えろ」と他人からくどくどいわれるのなら、真意を考えたほうがいいかも。つまりその意味は、
「どうせ今(のお前では)あれこれ考えても無駄なんだから、さっさと動き出せ!」
です。ちょっと小馬鹿にされたように見えるかもしれませんが、これはこれで発破をかけてくれているわけだから感謝です。
走っている最中でも「考える時間をブロック」せよ
要領よく成果を出されている人を観察すると、やることでギッチギチだからこそ仕事を始める前に手帳をチェックしたり、今日やることをメモに書き出したり、忙しい原因を紙に書き出して冷静に検討したりされています。
考える時間を決して甘く見ていません。むしろ、重点行動としてきっちりその時間を確保しています。
「走る」と「考える」を並行処理しようとするのではなく、走っている最中にも考える時間をブロックしているということです。
考えているときも何かしら手を動かすといいと思います。例で挙げたように、手帳やメモに書き出すとか。
なぜかというと、腕を組んで「う〜ん」とうなっている時間ほど我々自身が何も行動していないと思い込んでしまうからです。つまり、“やってる感”が薄くて意味を感じられなくなってしまうということです。
そんな経験はありませんか?
これを防ぐためにも、課題を書き出したりマインドマップにアイデアをまとめたりするなど、手を動かす行動と組み合わせたほうがいいですね。
僕が知っている起業家さんは、メモに手書きでマインドマップを書き、さらにそれをアプリで清書して、さらにそれを印刷して手帳に貼り込むくらい徹底的に「考えて」います。
まァ、ここまでのことはなかなか真似できませんが、成果を出されている方ほど、考えることを大事な仕事の1つとしてとらえているということです。
どれだけ忙しなく走っている最中でも、考える時間をブロックする。そうやって十分に検討を重ねたアイデアが、結果的に走るスピードを加速させることにもつながると思います。
まとめ
今回は、走りながら考えることは実は非効率、というテーマでお話してきました。
「走りながら考える」を真に受けて“ながら”で考えたアイデアは、果たしてまともに検討されたものか? そもそも書き出さずに覚えていられるものなのか? はなはだ疑問です。
そんな効果のほどが分からないテクニックに走るよりも、まず実行できる時間を確保することが大事です。
繰り返しますが、本気で息を切らしながら走っていたら、考える余裕なんてないですから。
今回のまとめ
- 「走る」と「考える」を両立するのは土台ムリだから、分離しよう
- 派手さはなけれど、考える時間も立派な仕事のうち
- 走っている最中でも、考える時間をきっちりブロックすべし
大丈夫、速さは後からついてきます。自分を奢るなかれ、ですよ(自戒)。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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